TV Interview - インタビュー
ニューヨークに30年
日本女性55歳のおいしい体験!
〜東海テレビ局テレピアホール オープニングイベント インタビューより 1988.11.12〜
自然を踊る 感謝を踊る 自分を踊る
三条万里子55歳
3歳からダンスを始め、1962年28歳のときアルビン・エイリーに招待され、片道切符でニューヨークへ。ソリストとして活躍、以来ニューヨークを本拠に世界各国で公演。また、ニューヨーク市立大学の招待教授として、多くの舞踊家を育てる。文部省芸術祭奨励賞、舞踊ペンクラブ個人演技賞などを受賞。
36歳のとき、アメリカ人と結婚。ふたりの子供を出産。
50歳という年齢を転機に、新たな踊りの世界を創り続けている。
A:「人間コンサート」本日のお客様はモダンダンサーの三条万里子さんです。
東海テレビのテレピアホール、オープニングイベントとして、(1988年)11月28日に能管の藤田六郎兵衛さんと共演をして頂くために、ニューヨークからお出で頂いています。
今回は、どのような感じの舞台になるのでしょうか?
Sanjo: わたくしにとって、初めての能楽とのたいへんに怖い仕事です。
日本の能楽が、あまりにも伝統的で動かせないほど素晴らしいものだけに、わたくし共がやたらに一緒にできるようなことではないのです。
でも幸いに早くに外国に出ましたので、日本人であるという自覚ですか、血がどうしても違うということを知らされました。特に黒人の舞踊団で最初に(アメリカに)参りましたから、 私はどうしても日本人だということ、日本人の血を持っている以上「日本人として何ができるのか」?
それからわたくし自身も自分の体を非常に不思議に思っていますから、そういう意味で日本人としての自分がどういう仕事ができるのか?など、今までずっと自分が育んできたものだけに、わたくしの崇拝している能・伝統を持った日本の芸能からたくさんのエネルギーとたくさんの素晴らしいものを頂いているだけに、そちらの方からお招き頂いたということが非常に嬉しいです。
でも、能管の持つ音質があまりにも厳しいのです。ですからそれを伴奏に、わたくしのようなトレーニングをした者、現代のこういうふわふわした所でやっている人がそれと合わせられるかというのが大変に怖い問題だったわけです。慎重に取り組まないといけません。一番厳しいものだと思います。
A: 55歳という年齢はどう思われますか?
S: それはもう仕方ないことですね。(笑)年々、皺やらシミやら、それから特に体のことを注視していますと、自分の体の衰えを非常に敏感に感じてしまいます。
A: 映像を見ますと年齢がわからない、無駄なものが何もついていない感じです。
S: そうでしょうか…?まだたくさん体の中に毒が入っておりましたね。(笑)自分の思うようにはクリーンできないのです。でも毒もやはりないとダメなようですね。(笑)
A: 厳しいという話について、28歳の時にニューヨークに渡ったのは昭和30年の半ばですが、その頃女性でしかも単身でというのは大変な事だったと思いますが?
S: それも、その頃から自然にそういう風になっていたのではないかと思います。わたくし自身、ニューヨークに行って勉強しようなんて、そんな大それたことは少しも考えていませんでしたが、やはりそういうご縁があったのだと思います。
ここ(日本)は大変にきつい所ですね。どこへ行っても頭打ち。わたくしに限らず、仕事をしていてもしなくても、小さい時から人間というのはやはり怖いと思うのです。自分の思うことがなかなか通してもらえない。まず一番最初、親とも衝突致しますね。自分の欲しいものがすぐ得られないという意味では、みんな本当にそれを得るためにそれぞれの闘いは厳しいと思います。
わたくしも同じように厳しかったのですが、たまたまアルビン・エイリーが(日本に)公演に来ましたときに偶然そういう話(アメリカに行くこと)になりました。
その当時1962年ですから、ずっとそれ以前には、難しい黒人と白人の問題がアメリカでありましたけれど、アルビン・エイリーは若くして素晴らしい仕事をして、その時点で白人の世界に認められたのです。まだ小さいモダンダンスのカンパニーでしたが、黒人霊歌を踊りにしたものと、それから彼自身、彼達でなければできないジャズ、ブルースの世界。その2本をポーンと持ってニューヨークでデビューしました。それが大変に皆さんに好感を持たれて、一挙にアメリカの国がサポートして、アジアや日本を彼の舞踊団が巡業して行きました。
その折にわたくしは本当に感動したのです!それまでにも、美しいものの定義がいろいろとありますが、彼のは本当に人間の生のもの、黒人の哀しみがパァ!っと出たものが表れたので、ほとんどわたくしは涙をこぼすほど感動しました。その話を(アルビンと)たまたました時に、彼とそこでピッ!と通じてしまったので、彼が一挙に、まだわたくしの踊りも何も見ないうちに「あなただったら私と一緒に踊れる」と彼が思ったのです。
その時に感動したその気持ちがそのままそちらにピッ!と通じて…。日本人同士でもなかなか上手く関係・リレーションがつきませんのに…今にしてみると私の主人は白人ですし、何がどうなっているのか全然わかりませんが、ご縁でそういう風にどんどんなって行ったのだと思います。
A: 言葉は通じなくても感動はわかりますからね。
S: はい、そういうものがあるのですね。
A: ニューヨークに行かれて、その中にどんと置かれて舞踊家として一生懸命修行され、ところがそれから8年くらいしてアメリカ人に出会い結婚をされたわけです。
S: はい、それにもいろいろあります。(笑)それもご縁だったとしか思えませんけれども。
A: それは踊りを捨てるというようなことではなかったわけですか?
S: はい。捨てる、もう捨ててもいいという思いにあたったわけです。いえ、捨てなきゃならないと思いました。というのは、頑なに踊り、踊り、踊りとずっとそういう風にして来ました。けれども、何かこう生きているうちにアメリカ、ニューヨークと日本を行ったり来たりしている間にわかって来たことは、どうも自分の頑なさ、踊りに対してあまりにも夢中になり過ぎていたということを。
ふっとどっかで風穴が開いたのではないかと思います、36歳にして。
A: 36歳にして?
S: それすら遅いのですが、それもご縁だったと思います。
A: ニューヨークの街角のパン屋さんで、ご主人とパッと出会ったのですか?
S: (笑)わたくしは、たぶん颯爽と歩いてたのでしょうね。それを見ていたのだと思います。それが最初だったそうですが、パン屋で会ったのは何回目かなのでしょう。あちらは計画していたと思います。それで徐々に徐々にそういうことにさせられたのですね。(笑)わたくしは全く踊りの方を向いていましたから、自分の能力では「もう男性は結構、両方はできない」と。
もちろん希望は持っておりました、「素晴らしい方に会えたら」と。でも、踊りだけ一生懸命やってもこれしか出来ないのだから、そんな両方は無理だというので、どちらかと言えば、男性の方はサッとこちらに置いていた状態だったのです。
A: 過去に踊りをやりながら男性に惚れてしまって「女性というのは男性に惚れると、踊りがどうしても疎かになるからこれはいけない!と自分に鞭をあてて「男はもう結構!」というような経験があったのですか?(笑)
S: (笑)そのようなこともあったかもしれません。でもよく考えると、非常にそれは「若気の至り」です。自分のしたいということ、わたくしの場合は踊りですけど、それと男性とを秤にかけるような意識というのは、やはり若さ故の愚かさ。それ故に秤にかけたのではないかと思います。そんな秤にかけられるようなことではない!ということを、今になってよくわかりますから、そんなことではありません。(笑)
やはり踊りをするのも人間ですから、人間として自分が成長していなかったら何も出来ない。特にわたくし供のは、「自分が今生きている」ということを体を使って表現するのがモダンダンスですから。自分自身が毎日生きていることの中から、自分の考え、「こういう風にしていくことが自分にとって素敵だと思っていることだ」というようなことを育んでいく仕事ですから。自分の毎日の生活を「これはこれで我慢して切り詰めて、男性も我慢して」と言って踊りだけ、というわけにはいかないはずのものなのです。
それをなかなか気が付かないでいましたから、36までおめおめと。(笑)ですからどちらかと言えば愚かな方です。気が付いたのが非常に遅かったために、もうギリギリというところで、恵まれて子供もいただきました、二人。
A: 今もちゃんと現役第一線でやっていらっしゃるわけですが、
S: 第一線かどうかわかりません(笑)
A: この変化をしっかり伺いたいです。踊り一本でいらして、36歳にしてご主人とぱたっとニューヨークのパン屋さんでお会いになった。いろいろ仕組みがあったにしても、そのご主人にお会いになって(ダンスを)やめてもいいと思われた。
S: はい、それはみなさんもそういうことじゃないでしょうか?好きな人に巡り会ったり、その方から「結婚しよう」と言われた時に…。わたくしの場合は、もうびっくりして「こんな私でいいのかしら?」と思って。「これは自分を直さなきゃ大変!」とそれに夢中になりましたから。はっと気が付いた時は踊りのことはもう抜けて、「踊りはしなくてもいい」とかそんな理屈じゃないのです。もう「自分を直さなきゃたいへん!」ということでいっぱいになりましたので、踊りがちょいと横にどいてしまったのです。(笑)
A: やっぱりそんなことがあったのですか。
S: はい。(踊りは)どきましたけれど、踊りをちっともしないでいたら「どうして踊りをしないの?」と彼に言われましてね。「え!?してもいいの?」なんていう状態でした。「あら!踊りを続けてもいいのですか?」という感じでした。
そこのところが、わたくしは日本人のやはり日本人たる所以で、日本の男は大概(踊りを)してはいけない、と言うはずのものでしたから(笑)。そんな習慣で口をきいたと思います。でも「どうして踊りをしないの?」という幅を持っている人にたまたま会ったことが、わたくしの幸せだったことだと思いますね。
A: 何れにしても意識の外にあったわけですからブランクがあって、踊りは変わりましたか?
S: はい。変わったのはやはり子供がお腹に入りまして、それは全くのミラクルですね。ほんとに奇跡ですね!あんなことが起こるってこと、本当に驚きました。
驚いて驚いて、自分のお腹を眺めて変化してゆく毎日毎日。ですから妊娠中の毎日が、とてもリッチ (rich)になったのです!性格も自分で変わるほどになりました。
私の場合はそれで体がすべて変わったと言えます。「変わらせて頂けた」と。
A: でも一部では、女性はお腹が大きくなると醜いと言う人もいらっしゃいますが、リッチになるとおっしゃいました。
S: はい。それは初めてわたくしがダンサーとしてずっと自分の体を外側からも中側からも見つめてきた結果、中にミラクルが起こる…もう不思議でたまらないわけですね、中に生命がいるってこと。それが動くという喜びとかそういうことから、「あ〜今までは自分の体を本当の意味で知らなかった、本当のエクスタシーというのも知らなかった」と思いました。ですから、妊娠によるエクスタシーの凄さが毎日の生活に感じられ、やがてやって来る命をわたくしが産むのだということを考えると、今までやってきた踊りはとてもプア(poor)だと思いました。
そういう風な思い、体験をさせて頂けたということで、わたくしのその後の踊りが変わるのは当たり前です。変わったのがどうしてわかったかと言うと、やはり観客のリアクションが違います。観客の喜ぶ度合いが違います。
わたくしもそれはそうだと思いました。なぜなら、それまでは一所懸命「踊りはこうだ」と思って、「こういう踊りを見せよう」と思って踊っていました。
例えば脚なら「ここまでは脚を上げなきゃいけない」とか、「ここまで体が利く芸を見せよう」とか。でもそれは、本当は芸じゃないのですね。ところが若いうちはわからないので、そういうことで踊りを創っていましたが…。本当は、生きているという喜びと不思議さをいっぱい、そして多くの疑問を持ちながら踊った体から違うものが表現されるのは当然ですね。
ですから、わたくしの体がその時に「溶け始めた」と言ったらいいでしょうか…
こう、やわらかくなったのですね。それまでは頭の方「概念」で踊りというものを考えていましたから。「踊りの観念とか概念」とかに毒されていたのではないかと思います。それで何かをやろうと思い込んでいるから硬いです。やった仕事はバシッとできても、硬くて面白みとか柔らかみとか…うま味ですね。言ってみれば「美味しさ」がなかったのだと思います。
わたくし自身やはり、セックスの経験ももちろんそうですが、それを含めて妊娠の経験それから子供が生まれて来てからの毎日のやり取りの、なんと言うか…「美味しさ」「からだの美味しさ」。
A: 「美味しさ」ですね!
S: はい。「美味しい体験」をわたくし自身が本当の意味でわかったのです。
その後はトレーニングの方法も全部変えました。お陰で変わることができました。
なぜなら、「美味しい体」に自分がならなかったら、わたくし自身「美味しい気持ち」にならなければ何をやってもダメだと思いました。わたくし自身の体が本当に「美味しい喜び」をいっぱい持てば、観ている方が「美味しい体験」がなかったとしても、その踊りを観て、「あ〜美味しい!」というのを貰えるということ。それが観客と初めて、人間の踊りはこうだったのだという形で伝わったのではないかと思うわけです。まだそれもよくわかりませんけれども。(笑)
A: 「生きている証しが踊りだ」というような表現をされましたが、「人間としてこの地球上にある喜びが分からなければ踊れない」ということなのでしょうね。
S: はい。どうして喜びか…やはり、あまりにも生きてくこと自身、苦しいですね。
小さいときからの事を振り返ると、身震いするほど怖かったこと、悲しかったことがあります。でもそういう哀しみや苦しみが強ければ強いほど、それを転化して明日を、きょうを生きなければいけません。それをより喜びに変えるようにして生きなければいけませんから。もしここに悲しいことが起こっても、自分のコントロールで少しでも悲しみを和らげるような方法を自分で見つけ出すないし、コントロールしなければ一日も生きて行けません。長い間の経験の中には、人間はみんな一人で生まれて来て、一人でどこかへ行かなければいけませんね。そういう途上にあるわけですから、私も自分で舞踊家として生きて、いい舞踊をやろう、いい踊りをやろうとか言っているときは自分だけのことしか考えてないからわかりません。
主人も子供も助けようがない、と思う瞬間がありました。一人で起きて一人で勝手に眠ります。どんなに頑張っても、わたくしがその人のことを全部はわかってあげられないです。その恐ろしさを感じたときにパッと横にいる弟子の一人を見て、「この人も一人だ!ああ、この人も一人なんだ。私の娘だけじゃない、私も一人だ!」という驚き!「主人も一人だ、あの人も、あの人も!みんな一人なんだ」ということを、体の底から分かりました。だからこそ、なんとかして少しでも大変な時には助けてあげられるだけの力を、自分たちは、わたくし自身は持たなければたいへんだと思いました。
A:具体的に、例えば訓練ですが、お客様の空気やこの場の空気をもらって動くというのは、どういう訓練をするのですか?
S:それは例えば、一番基本になるかと思いますが、お風呂に入ったとき気持ちいいですね。もう眠くて入りたくないと思っても、お風呂に入って温かくて、あ〜やっぱり入って良かった、このまま死んでもいいと思う方と、あ〜生き返った!と思う人と。そういう表現がありますでしょう?頭に手ぬぐいなんか乗せたりして。(笑)
そのぐらい、要するにお水と同化した形になりますね。リラックスする気持ちを温かいお湯からもらいます。ですから空気も温かかったり冷たかったりして。冷たくてこの空気は嫌だよ!と思えばもっと冷たく感じますでしょう?
でも冷たいってことを感じられたってことは嬉しい、となればその冷たい空気からも何か頂きますよね。ですから自分の方の考えを変えるということじゃないでしょうか。
A: つまり具体的に言うと、技術的な問題ではなくて?
S:ではないです。自分の中での「スイッチ チェンジ」です。はっきり言えば、自分で体験したこと、その素晴らしかった「美味しい体験」をふっと思い出して、それを自分の体にもう一回追体験する。取り上げて再現するということです。そうすると、そういう体験で酔うということがわかれば、意識で酔ってみたり硬いところを意識で取り除く「あ、(体の)固まっているところは出てください」というのでスーッと(体から)出て行く。スーッとリラックスできる。ですから必要な力を使わないです。よく肩肘張って、こうやって頑張って自分を良く見せるとか大きく見せるというように張っていますね。それでは相手が構えます。
あっ!とか、或いは嫌な感じを持ちます。やはり柔らかい方がいいのではないでしょうか。
ただ、脳みそがあまり柔らか過ぎるのも良くないけど、わたくしはそういうトレーニングで脳みそを少し柔らかくし過ぎている嫌いがあるのですが(笑)。ともかく硬いところは全部ダメです。「頭の硬い奴」とよく言いますでしょう。やっぱり頭は柔らかい方がいいかもしれません。あまり硬いと、しっかり仕事しようとか、何かそういう事を頭で先に決めてしまいますから、自分を嵌め込んでいくから苦しい毎日になります。ところが、「うん、もうどうせなるようにしかならない。どんなに使ってみてもこれはダメだから、まぁ楽に行きましょう。」と言って楽にするとあんまりストレスも溜まらないのではないでしょうか?私もストレスは溜まりません。(笑)
発散するように…ですからお酒を飲まないのに、(お酒を)いただいたような気分になるとか。ちょっと心配事があり「いけないいけないお風呂に入りましょ!」と言いつつお風呂に入らないのに、空気の中でもお風呂に入ったような気分になって自分の中の毒素を出す。皮膚の毛穴を開けるのです。全部毛穴を開けて、そこから空気が出たり入ったりして。そうすると良いのではないでしょうか?
A: それはひょっとしたら、そういうのを「芸の力」というのかもしれませんね。
S: ですからプランツ(plants)、植物と一緒です。そういう風に心がけることで、それが人間にはできるということを、わたくし自身は体験しました。ですからこれを教えています。向こうでもこちらでも。
A: しかし、植物は寿命の短いのもありますけど、結構長いのもありますね。人間は地球上では結構短い方ではないかと思います。
S: 短いです。あっという間ですね。
A: 50を過ぎると衰えますね。
S: 衰えます。自分が、こんなはずじゃなかったという事が毎日起こりますから悲しいですね。
A: 悲しがってばかりはいられないですね。(笑)
S: はい、いられませんから!(笑)それに立ち向かうという形になります。でも立ち向かってもどうにも仕方ありませんから、今みたいな実際のそういう方法を得ながら、「アァ、これはこれでこうなるものだという」お年を召した方の哀しみもわかるということになるのではないですか?
ですから、あまり頑張っていつまでも若くしようと言って、やっているつもりはありません。やはり年々、相応に、体もある程度使い尽くせばどうしても無くなるわけですから。そしたらまた違う世界へ行って、十分生きさせて頂ければいいと思います。
A: 50を過ぎて衰えを知って、それで水行をしたり四国八十八ヶ所を巡ったりして.....
S: はい。それはやはり、あまりにもショックですから年を取ったことやら。それから50になってしまったという時に、わたくしは「あぁ、こんなにいろいろ苦しかったけれども、これからどなたかの力を頂かなきゃやっぱり大変だ。」という考えがあったのです。それでまずはお礼参りの意味もありましたが、やはり「助けて下さい!お力を下さい!」と拝みました。そうすると、お力を本当に頂けるのです!(笑)そういう風に素直になると。そうではないでしょうか?
A: ニューヨークを本拠地にしてアメリカ人と結婚して、そしてユダヤ教だということで、ますます疑問に思えて来ました。
S: それは、そこへそういう生活に自分がどっぷり入って、あちらの方がどうやって生きているか、あの人達が自分の人生を、或は死というものに対して、あまりにも日本人の考えと違うと思いました。いろんな良い面も悪い面もあります。ただわたくしは、自然に日本人でしたから、年々、日本の風景…それが憧れになって来たのがお四国廻り、日本の山、日本の聖地と言われる所。どうしても行きたくなったので日本の山を歩かせて頂くというつもりでお四国を歩かせて頂いたのだと思います。
確かに素晴らしく、歩いていながら素晴らしいものや昔からの人々の信仰、そういったものの力をみんな頂いたと思います。そういうものを持って行かないとアメリカというのは、みんなで取りっこして、力の強い者ほど優位になる。でも、わたくし自身は、力を強くして上がるのが良いと思っていないのでそうじゃない方の力、逆のやり方で。
でも、悠々とそれでもニューヨークで生きさせて頂いています。良いものがたくさんまだあそこにはあります。悪いものもたくさんありますから、わたくし達は気を付けてあまり悪いものは、もう取って来ないようにしないといけません。
日本人としてアメリカを見ることができます。外から日本を見ることができます。そういう非常に恵まれたところにいますから、それだけの仕事をしなければ、やはり恥ずかしいと思いました。
A: 今、具体的には日常訓練はどんなことをしているのですか?
S: 先ほど申し上げた、硬いところを柔らかく…今日はきょうで新しい自分の体の在り方を見つけるために、きのうからのものを持ち越さないとか。きのう「わかった」と思ったことを捨ててしまう。今日はきょうで新しく、今生まれたようにして始めます。ですから、いざトレーニングの時に、「ほんとに生きていて嬉しい」とか「きょうはこんな風にできる」とか「お茶一杯頂くのも、本当に美味しい!」と味わえれば感謝します。素直に感謝して頂けばガブガブ飲まなくて済みますよね?感謝がないとどうしても沢山摂ってしまいます。摂り過ぎて体に水分がたくさん溜まるとか、食物の場合だと入り過ぎるとか。ですからまず、自分の中で感謝できるようになったということが「スイッチチェンジ」になったと思います。あらゆることにそうではないですか?
それは良いパートナーに恵まれたことでしょうか。
A: 今年55歳ですが、現役を、第一線を?
S: 一線かどうかはわかりません。若い方がどんどん出るのはいいと思います。わたくしは、自分がやれることだけをやらせて頂きたいと素直にそう思っています。ですから本当に、私はニューヨークに生活しながら一日でも一回でも余分に、日本に帰りたい心情なわけです。日本の良さもどんどんわかりますし、まだまだ日本から勉強させて欲しいものがあるので、あそこに居てもおちおちしてないのです。いつも頭が日本の方へ飛んでいるのです。そういう状態ですから、今回も名古屋で呼んで下さったので、またここへ来ることが出来てたいへんに嬉しいのです。
A: 日本とアメリカの良いところを、それぞれ言葉で一つずつ教えて下さい。
S: 「日本のきめの細かさ」です。日本人の歴史で代々持っている日本人のきめの細かさ、繊細さ。これは本当にどこの国の人と比べても、一番日本人の底に持っている良さがある。きめの細かさですね。
アメリカは、「人の目を気にしない」「まっすぐ進む」ということ。「アメリカ人のストレートさ」ダイナミックです。ですから日本と全く逆さで細かいことの斟酌なし。やりたいことをスパッ!言いたいことを全部スパッ!とやるその行動力の凄さです。それは私ももらわないと大変だと思いましたから、その意味でアメリカからもたくさん頂いています。「率直さ」素晴らしいです。
A: 11月28日も、舞台から何かエネルギーをもらいたいですか?
S: はい、いただきたいです。何をしようという風にきちっと決めて創ったものをやりません。ここ何年もそういう風に、その場所へ行って自分が何を感じて、どういう風にできるか自分を見ながら、みなさんと一緒にそこに居させて頂く。その時間をどういうふうに過ごせるか、自分でもこんなに大きな怖さと、それからまたわからないことに対して体を委ねてしまう。それで出てきた結果あとから、「あぁ、どういうふうな在り方で居させていただけた、ああ生きられた」と思うか、「あぁダメだった」と思うかは後の問題です。自然のそのままで、体ひとつでそこに立たせて頂きたい。
そういうつもりで…。
A: 楽しみにしております!きょうはありがとうございました。
S: ありがとうございました。