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Training

​模索

「DANCE」はいくつもの種類があるが、昭和のはじめ、近代化の流れの中での母の夢のため​、三歳でダンスを始めてしまったわたしは、敗戦の混乱期のただ中、十五歳のとき「創作コンサート・ダンサー」の道を選んだ。

 

日本ではわずか百年足らずの洋舞の歴史であったが、先人の足跡を追い、リトミック・ノイエタンツ・バレエ(ロシア系)テクニックを若い身に受け、人並みに踊ってはいたが..... 。

 

特に日本のダンス界でのテクニックと言われていたものは、キャラクター的な技術であり、体にとって純粋な意味での技術ではない、、、と思えた。各々の振付師が好みの舞踊作品を創り競い合えば、体の使い方が激しく、振付師の癖の歪みも同時に肉体に及ぼす。スパルタ的に練習を重ねて体に覚えさせ、その動きに慣れさせるような従来からの流れに乗ることは、わたしの反発するところであった。ただ、闇雲に習慣化させるやり方は、心も身も痛めつけるやり方であり、失敗率が多いのも周囲に見聞きしていた。

 

若い時に、わたしはいかなる動きにも堪えられる強い体を欲しいと思い込み、合気道やヨーガに目をすえ、眞言のチャンティングにのめり込んだりもした。

 

"肉体に及ぼす本当のトレーニング" をわたしは欲しかった。

 

三十代の半ば、わが身に起こった妊娠と出産。つづけて生まれた二人の子供の成長と過程。人の世にあっては子供が生まれることも育つことも当たり前のことかもしれないが、自分というものの観念を根本から変えさせられ、奇跡のような事件だった。踊る筋肉と脳のすべてをとりかえるような再出発のきっかけになった。

 

俄かにわたしにとってのトレーニングの道が開けた。

 

子供の成長の不思議を感じながら、わが身を実験台にした。外に向けていた眼を体の内側に向け、人の体の行動を探ることがはじまった。眠りから覚める時と眠りにつく時の半眠状態にこそ、最も焦点をあてた。

​知的な体をつくる

他の多くの人々と社会生活を営む中での不満と不均衡。周囲の圧力と未知への不安と恐怖。人間のつくりだした規律とそれにそぐわない内部の葛藤。加えてもっと始末の悪い己れの欲と余剰エネルギー。いかに抑えても意識的なものを軽々と乗り越えてやってくる無意識界に巣食っている情動などの処理が先決だ。

 

わたしにとって「ダンス」は、悩んだ末に自分で選んだ道であり、レールが敷かれていたようでいてすべてそれが逆に作用したようだった。そこである種の覚悟と意志をもって、少しでも望ましい方向(美しい、正しい)に向ける判断力を自分で養い、掴み取り自分で行動しなければ何ごとも進まず、形にならない。

 

「知的な体を生み出すため」に毎朝の目覚めが体にとってスタートであるように、日々の訓練も、今、生まれたように新鮮にはじめる。生きて動く自分の体を知るために、自分の内側に耳を澄ませ、醒めてくる感覚に立会い、感覚の充足感を少しでも正確に知る。

 

<呼吸>と<気>の力に問いかけて、<想像力>を使いながら全身の知覚を広げ、感受性を高め、知的な体をつくることは、まず健康につながり、踊る以前の問題である。言語を賢く肉体に通す作業の始まりである……。

 

日本人のからだを持つわたしであれば、当然のことながら、人類の宝と思える東洋的自然観に基づくヨーガ、禅、野口晴哉氏の活元運動に注目する。特にヨーガは、生命エネルギーを科学的に調和させ、心身両面の、人の生き方を教えてくれる。効率よく肺にたっぷりの酸素を送り、血液の質と量のバランスをとり、細胞の代謝の調和を起こせる呼吸と<体の操法>が結び合わさった智慧の数々である。先達の遺産である冥想とヨーガを再び、正面から取り組んだ。

 

肉体を使って心が赴く(おもむく)ように踊るためには、自分の知覚、感受性を高め、内臓感覚やフィーリングを大切にして、心を秘めた体の不気味さに向かい合うしかないだろうと思う。

 

心と体の硬張り(こわばり)を取り除き、東洋的自然観に基づくメソードから多くを学ぶ。体の緊張を解くと自然現象に接近できるような感覚がある。体の状態がよく見え「直感」にもよく出逢い、「閃き(ひらめき)」に無心で従えることが自然だと思えた。

​作法は一つ

心理状態の起伏から生まれる無限にある人の動き。その中から眞に必然性のある動きを探したい!

と希ってきたわたしが体で判らせられたことは、古来より延々と一個ずつの体が探し求め、

試してきたであろう”作法は一つ”。

 

己れの体の機能と心のバランスを自然の<気>と調和できる体をめざすことであろう。

体の快適な充実感は生きることの自信になり、ものを生産する意欲へつながる。

心身を整え、鋭敏(シャープ)で健全(ポジティブ)な感覚は、内実にみあった己れの欲求が想像力に満ちた

表現で <かたち> になる。

 

閃きを感じ取り、その直感を掴み取れる体の状態を用意することが、わたしのトレーニング法である。

 

音楽・ダンスは魂(ソール)の言葉であり、わたしにとっての舞台は自己実現であり、創造作品は生きのびるための最も素晴らしい力になった。

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